僕の名前はゆーしゃしろはだ

 しかし誰にも名前を呼んでもらえない。悲しい。
 ということでオブリビオンプレイ中。主人公の名前を「ゆーしゃしろはだ」にしたのは道ゆく人に「あ、あなたがあのゆーしゃしろはだ様ですか!」とか呼んでもらうためであり、悦に浸るためのもの以外の何ものでもないのだけど、何故かこの世界の人は俺の名前を呼んでくれない。悲しい。
 いや、わかっているんだ、会話は英語とはいえフルボイスだから、そういうの入れると変になるってのは、わかっているんだ。FF10とかでもムービーが入るたびに一々「キミ」とか寒気のする名前で呼ばれた気がするが、ああいうのはボイスの付くゲームでは避けられないことだし、わかっているんだそういうのは。でもねでもねでもね!納得いくかどうかは別問題だよ!
 まあそれはともかくオブリビオンプレイ中。このゲームはサブクエストが豊富で楽しい。今は本編そっちのけ。なんでもないお使いイベントが多いのだけど、その分量は膨大。NPCにはどれもこれも決まった行動パターンがあるので、「だれだれを監視せよ」系の一見すると単調なクエストさえ面白い。NPCの生活スタイルとか他NPCとの友好関係とか、そういう人間臭い生活の一部が見られるのが、どこかゲームとして新鮮だ。かつてのラジアータストーリーズはこういうのを表現したかったのだろうが、今思えばあれは中途半端なゲームだ。
 NPCとの友好度を上げるための説得とかもまた良い味出してる。会話を通じて友好的になってから、こちらから依頼を申し込むというのは一見すると手間かかるし作業なんだけど、たしかにそこにあるであろう生命と生命のやりとりがとても生々しくて、良いんだこれが。賄賂を渡せば信頼度が上がるのも良い。金は信頼の証だ。
 ところでこのゲームではワールドマップを散策していると廃坑を見つけることがあり、その中に入って残された宝なんかを物色することもできるんだけど。そこにはゴブリンが住んでいたり山賊が住んでいたりと、RPGではお決まりの展開が用意されているのだがこれも何かストーリーを感じて趣深い。近くの町から出てきた旅人とかを襲って所持品をここに貯めているのかな、それとも里を追われた人もしくは魔物が寄り添って作られた集落なのかな。みたいに、いろいろ想像して楽しむことができる。襲いかかってくるので結局殺してアイテムとかお金とかいただき、集落を壊滅に追い込んでしまったわけだけども。壊滅ていうか、一方的な虐殺に等しいな。なんか、奪い取り、奪い取られる連鎖をかいま見た気がして、屍転がる廃坑から出た後はなんだかしんみりきてしまった。
 かつては彼らも略奪者だったのだろうが、今度は正当防衛とはいえ俺もといゆーしゃしろはだという略奪者に命も財産も奪われてしまった。残ったのは空っぽの、誰の記憶にも残っていない廃坑と、かつてそこに住んでいたであろう人々の亡骸。そこにはきっと思い出の一つや二つあっただろうに、今じゃそれを思い出す者は一人もいない。俺は思い出すら奪い取ったわけだ、そこに住まう者の全てを奪った。RPGではよくあることだ、よくあること。しかし、他のRPGではなんでもない行為なのに、どうしてこうも心が揺さぶられるのだろう。特に誰かにストーリーを聞いたわけでもないのに、そこでたしかに生きていた生命を奪ったときのなんともいえぬ感覚、ちょっと忘れられない。
 こう、遊べば遊ぶほど力強さというか、生命力みたいなものが感じられるゲームじゃないかと思う。半面、RPGとしてはまだまだどこか発展途上というか、どーにも不便なシーンが多くてまだまだだなあと思うこともあるんだけど、どこか天井の見えてきたJRPGと比較してオブリビオンが持ち上げられるのはよーくわかる。たしかにこのゲームは、なんか底知れない力を感じるわ。それは生命力であったり、RPGの可能性を追求しようとする意志であったり、構成された世界の持つ莫大な情報量の重みであったり、いろいろと感じるものがあり、そういったものを一身に受け止めるにはちょい重たいゲームでもあるんだが、こういう感覚って昨今のJRPGではなかなか得られない感動だと思うんで、やっぱりすごいタイトルなんだなあと思う。
 そーいや今日ってFallout3の発売日か・・・お金があれば欲しいんだけど、今はこのオブリビオンで我慢するかなあ。個人的には、主観視点で剣を振り回すよりは銃撃つ方が直感的だから、実はオブリビオンよりFallout3の方が好みのような気がするんだけど。まあオブリビオンも今のところは楽しめているから良いか。