前田智徳

 周囲のカープキチガイの影響から1999年途中ににわかファンとなって、なんとなく野球の知識を蓄え、翌2000年、オープン戦からいつも以上にカープに注目し、応援してきた。
 江藤移籍などゴタゴタがあった中迎えた東京ドームでの開幕巨人三連戦の第一戦。江藤の代役の4番は前田。
 前田という選手のことはあまり良く知らなくて、天才と呼ばれていたり、それまでも何度かホームラン王争いとか首位打者争いしていたことがある、ってなことぐらいは知っていたけど当時にわかファンの自分にとっては新しい4番という以外に特別感情移入できるものは何もなかった。


 2回表のシーズン第一打席、相手投手は前年度20勝で沢村賞を受賞した上原。その初球のインハイのボールを引っ張ってライトスタンドに叩き込んだ姿が今でも忘れられない。正確にはちょうどそのときの生中継は塾があって見れなかったのだが、帰宅後に見たリプレイで身震いしたのをよく覚えている。
 何度見ても、何度見ても、「凄い」以外の感想が出てこず、あれから13年経った今でも同じ感想を抱く。セパ同時開催の年で、両リーグ通じて第一号だったこともあり、その後もスポーツニュースで度々見かける本塁打だった。試合も確か4-3で広島が勝った。
 自分にとってはあれが原点。ちなみにその日からスポーツニュースをはしごすることの楽しさも覚えた。にわかがにわかでなくなるキッカケには十分すぎた。


 2000年から足の状態が悪くなったと言われる前田だが、その2000年の4月は鬼神の如き活躍を見せた(確か1ヶ月で10本塁打くらい量産した記憶が)。理想的なヒーロー像であり、江藤を失った広島を救うという意味ではまさしく神様のような存在だった。そんな新しい四番打者に当時抱いた期待は、まさかそこから12年の間Bクラスを彷徨うことになるとは予想すらしていない、ひたすらに純真なものだった。
 今思えば、ある種生き方とか憧れとか理想とか美意識とか、そういう感性の原点にもなったような、それぐらいに大きな意味合いを持っていた人物であり、期間だったと思う。
 足の状態悪化と共に試合に出場する機会も減っていき、さらなる代役で4番に座った金本が大当たりでトリプルスリーを記録し、人々の記憶からも記録からも忘れられつつある、そんな2000年の4番だった頃の前田が、自分にとっての前田、あるいはカープファンとしての原点であり、全てでした。
 そういう意味でも、なんていうかこう、完全に一つの時代が終わったんだな。終わりつつあるとか終わった気がするとかそんな半端なものじゃなくて、確実に、今日終わった。
 なんだか凄く悲しくって、でも凄く清々しくて、来年からはちゃんと気持ちを切り替えて、応援していこうと思った次第。


 前田の引退試合の日が来たら俺は絶対に泣くだろうなと10年以上前から思っていたが、まさか中継見れないどころか気が付いたら出番も終わっているとか別の意味で泣きたいとこだな。
 お仕事とプロ野球観戦の相性は劇的に悪いね。よくこんなもんがオッサンの趣味になるもんだなと不思議に思うよ。